2022/8/27㈯
宿題
Q.闇は人にとって本当によくないものですか
- 出来たら避けたいけど成長のために必要なものというか、有難いものでもあるかな
- 相対的なものだから、闇はいつまでもあり続けるのではないかな。どんどん成長していっても闇という部分は残り続けるというか、人というより宇宙全体というか、どんなに高いところに上っても常に闇は上にも下にも続いている
- 自分は闇は戒めとか気づきをもたらすものとして、最終的には先程の方が言われたように成長という部分に繋がるのかなぁと思いました。
- 闇と感じている状況の中でしか見えないものもあるというかそこでやっと気づけるというか人の優しさとか気づきなのだと思う。その状況のなかで見えてくるものもあるのかなぁ、本当につらいものばかりなのではないかなぁと思いました。後から考えると(笑)
- 闇という言葉自体多様な意味を含むのでなんとも言えない部分もあるんですけど、地球人の感覚からいうと昼間ばかりだと死滅しますものね人類は。なので、バランスというか両方必要な気がする。肌感覚で。
- 先ほども言われたように、気づきがあるように色々な有難さというものも気づけるのではないかと思う。闇によって今まで恵まれていたこととか、感謝などに気付けるのではないかと思う。成長のために必要なものではないかなぁと思う。
- 闇は必要だと思っています。暗いから怖いとか闇だから怖いというお話しじゃなく、闇の中でのちゃんとした役割というのがあったりとか、簡単に言えば夜になったら暗くなって寝れるとか、そういった色んな観点を闇の中に感じました。
ここからが本題です
上記のように「闇」について真剣に考えた時、どなたも闇を「悪いだけの存在」だと仰る方はいらっしゃいませんでした。悪いどころか、有難い場合もあればわたしたち生物にとってなくてはならないもの、引いては「必要なもの」という理解にまでそれぞれが落とし込めていらっしゃいます。
よって、今まで「なんとなくのイメージ」にて以下のような図式であったものが、突然入れ替わってしまうなんてことも考えられるかもしれません。
光と闇が入れ替わると ↓↓↓↓↓↓↓↓↓
このようなことが、いつ常識になってしまってもおかしくはないのです。
なぜならば、闇=安心、安全、善ということを最も実感しているのが私たち人間だからです。
それは私たちのすぐ傍に答えがあります。
私たちの体自身です。
わたしたち人間そのものが=闇なのです
基本的に私たちはふだん光を浴びる生活をしています。どんなに紫外線予防に励もうと全身を日除けで防ごうと光を「感じない」日はありません。ただし、光を浴びているのはせいぜい私たちの皮膚など表面にしか過ぎません。人間はただただ表皮に包まれた存在だからです。
生きている人間には決してやってはいけない事ですが(動物もですね)
表皮を剥いでは生き続けることは出来ません。
それは医学的な理由から申し上げれば、皮膚を剥ぐことで温度の調整が出来なくなり体温維持が出来ずに生きることが困難になります。剥ぎ方にもよりますが出血の量が致死量であるかもしれませんし、表皮がなければ他の雑菌たちも入り込み放題です。神経はむき出しで常に痛みも伴います。このようなことは想像もしたくないですよね。一方でまた、物理的な問題が発生しています。それは表皮に覆われていた「闇」の部分が光に直接当たってしまうことです。
闇が光に当たるとどうなるでしょうか、答えは簡単です。
闇は闇でなくなります。闇が消えてしまうのです。
私たちの体の中で表皮に覆われていて生きることにとても関わりのある闇といえば「五臓六腑」です。
加えて「脳」でしょう。
その場所はふだん光は全く当たっていません。完全なる闇の中で完璧な仕事を毎日こなしています。
彼らのお給料は私たちが口から摂取するものがメインになります。(五臓六腑さんの場合)
脳に関してのお給料は、糖やインスリンと言われていますが知識を蓄えることが出来るので沢山の物事を色々な角度から経験することが良いでしょう
脳や五臓六腑は完全な闇の生き物です。
しかし、光と全く無縁なのかというとそれも違います。
実際には、私たちが口から摂り入れる食事は日の光を浴びて育ったものです。五臓六腑に必要な栄養とは日の光が生み出しているのです。それらを私たち人間が正しい量で届けるだけです。どんなに日に焼けるのがイヤでも、少々くらいは日を浴びる方が骨を作り強くします。闇は闇なりに光の恩恵をきちんと受けているのです。そうして、その正常な橋渡し役をしてあげられるのは、まぎれもない私たち自身なのです。いつも体を正常にしようと必死に頑張ってくれている闇の存在のために、たまには嗜好品を抑えて闇に良いものを摂ってあげると嬉しいプレゼントになること間違いなしです♪
そうしてその行為とは、後に良いこととなって自分に返ってくるということも2倍に嬉しいですね。
人そのものとは、すなわち闇を抱えた生き物だったわけです。闇を抱え光に憧れるよう設定された動物です。人にとって闇は必要性を超えて「不可欠」であることが分かりました。
よって、闇が「悪」であるならば人間も悪のはずですよね?
はい、もちろんそうではありません。
では、なぜ闇を悪と捉えがちになるのでしょうか。
その理由は、恐怖心です。
光に憧れるよう設定されているので、闇との一体に戻ることに対して抵抗する感覚があります。(ただし、一部の人間には当てはまらず、闇に戻りたいようです)
先ほどのお話しのように物理的に言えば、光に憧れるように設定された動物……と言われたままで気分のいいものではありませんね。ここから、人間が光と闇にどれだけ特別視されているのか霊的に説明して参ります。
このように、私たちの身近で光の持つ恩恵のことまで熟知している「闇」。
セッティング通り、人間は様々な方法で光の恩恵を吸収する人生を送ります。
しかし、体の成長に対して光の量が見合わなければ
「霊体としての自分」は光が足りずに闇寄りの色でいることとなります。
要は、肉体というお洋服を脱いだ時に色が足りず、質量が重いということにより闇寄りの存在になるということなのです。ここからは、上記のような実質的な食べ物だけのお話しではなく、経験といっても良質な経験でなければ闇寄りですし、精神面にも関わってくることですからマイナスに働けば闇寄りとなってしまいます。霊的にも似たような存在の霊をいつもいつも周りに居させることも同じことです。
一方で、自分の霊体が光を満杯に吸収していた場合には
肉体を脱いだ時に、質量が軽くなっていて光に溶け込みやすくなります。
このような方のタイプは意外とお節介な方が多いかもしれません。人からちょっとだけ煙たがられながらもお節介だとか、面倒くさいと言われながらも、自分にとって「いいこと」を思う存分やり抜いて生きた人が成仏の道に乗りやすいようです。
日本で神様といえば、多くの方が神社やお寺や教会を思い浮かべることでしょう。その中で、日本独特の宗教といえば神社関係になります。この国に根付いてきた歴史を取り上げて、今回は、神社の神様でお話しを進めて参ります。
全国はたくさんの神社があります。さすが八百万の神というだけの神様がいらっしゃいます。そうしてその神様は大きく2つの部類に分ける事が出来ます。それが、「地上神界」の神様と「人」神様です。
まずは、地上神界の神様とはどのような神様であったか覚えていますか?
ポイントは一度も「人として生まれたことがない」という点です。
つまり、自然の法則そのものであり真理と言われます。
次に、人神様(ひとがみさま)
一度この世界に生まれた事があるという点がポイントです。
人生を終え、その後神として祀られた方という事になります。全国でも人神様は多く名前を挙げればキリがないくらい多くいらっしゃいます。
人神様は元は人間でしたので、光と闇の両方を持ち合わせている方ということになりますが、生きている人間にはちゃんと成仏した善霊の人神様であるのか、未成仏で悪霊の人神様であるのか判断がつきません。
光の意味合いを多く含む善霊の神様であった場合は、万人を広く見守る力はありますが、急場での救助はよほど、その神様にとって意味のある人間でない限り「特別に」など助けてはくれません。
それでは、闇の意味合いを多く含む悪霊の人神様であった場合には、私たちがほんの少し叶えて欲しい願い事を聞き入れようと努力する代わりに憑いて回るようになったりします。時には人格を乗っ取り憑依することもあります。それでも、生きている人間が幸せに感じているのであれば何も言う事はないと思っています。
ただ、この流れは、真面目に神社にお参りして、手を合わせて来られた方にしてみれば、とんでもない話しです。ご自分が信じている神様に間違いがあってはいけないのです。自分たちが思う「通りの神様」であってもらわなければならないのです。
まして、求めてきた神様のご利益がたいして効き目のないものであっては許されないのです。
ただし、一番大切なところはそこなのです。
今を生きる人間が、その場をどうしたいのか
どれだけその場所に一生懸命を捧げられるのか。その必死さが本物の力と繋がる時間を多く持たせてもらえるのです。うちは由緒はそんなに大したことはないからと諦めてしまっていたり、カタチだけの作法をしていては、神レベルの波長は呼び込めません。人は必死にならなければならない理由がちゃんとあるのです。
さきほど善霊のご利益について「よほど、その神様にとって意味のある人間でない限り「特別に」助けてはくれません。」と書きました。では、特別とはどんな人の事だったか覚えていますか?覚えていて頂いてると良いのですが、忘れてしまっている方は『続3・霊が見えない霊能力者』を参照ください。
リンクはこちらになります↓↓↓↓↓↓
いかがでしたか?善霊の上級霊に目をかけて貰える人になれそうですか?
スピリチュアルって特別な感じに聞こえますが、日々の私たちの生活そのものにそってすべてが流れるように進んでいるのですよね。
皆さん、今月のきゃらべんはいかがでしたでしょうか。
次回は、せっかく人神様の話しをしましたので伽羅が初めて出会った人神様のお話しをさせて頂きたいと思っています。
どうぞお楽しみに♪
Q.今のスライドを見て何か思ったことはありますか?
- 地上神界の神様と人神様ということで話をされましたが、人神は元々は人間なので人間の気持ちが分かるので、地上神界の神様とは違うということを聞いたことがあります。地上神界の神様は厳しいところもあるのかなと思いました。
- 人神様は元々は人間なので、霊ということですが、善霊と悪霊と人神様の繋がりが良く分からない
人神様は、基本的には霊であり、「神様」と言われながらも善と悪に分けられるということです。私たちが、ふだん「嫌な気配」などでドキッとさせてくるようなレベルの悪霊である場合もあるという事が今回は、お伝えしたかったのです。善霊悪霊でご利益の発生の仕方が違うということをお話し致しましたが、今後少しずつ深めて参りたいと思っております。