伽羅

生前の浦見さん-前編-

きゃらべん⒆3月26日(土)

前回までの「霊の見えない霊能力者」の中で、久能家をとてつもない執念で潰そうとしてきた未成仏霊の浦見さん。浦見さんが久能家を恨むようになってしまった背景を知りたいとの声を多く頂きましたのでこの度は生きていた頃の浦見さんを一緒に見ていきたいと思います

この場に立っているのは、生前の浦見さんと前回までのくーちゃんのご主人である久能さんのお爺さんにあたる方です。現在の久能さんが少し若返ったような姿ですね。生きていた頃の浦見さんに親しげに話しかけています。

2人は防空壕について話をしています。空襲という言葉でお分かりのように、この時は戦時中でした。

浦見さんの話しから、どうやら浦見さんの立場は何か差別を受ける側で久能さんはそうではない側ということが見受けられます。

浦見さんの受けている差別に対して、久能さんは異議を唱える人のようですね。差別に対して反対という意見をもち、浦見さんたちの人権を尊重しています。

改めて時代設定を確認します。

時は1945年(昭和20年)。この年の8月に広島、長崎に原爆が投下され日本は敗戦し戦争は終わりました。終戦に至るまでのこの年に日本はとてつもない空襲を被りました。3月は東京近郊で毎日のように空から爆弾が降り注ぎました。東京大空襲として歴史的資料に記されています。

間もなくして、久能家の息子家族が空襲から逃れるため、田舎である久能家に戻ってきたのでした。久能家が現在使っている防空壕は村民だけでもう入ることが出来ません。疎開してきた息子さん家族は息子、嫁、子ども2人の4人です。久能さんは浦見さんの使う防空壕に息子家族を入れてやって欲しいと頼んでいます。当然、浦見さんは快諾します。

久能さんの息子の疎開からまだ日の浅い頃、久能さんや浦見さんの住む村にも空襲がやってきました。村民たちはそれぞれに指示された防空壕へ避難します。

久能さんが先日浦見さんにお願いしていたように、久能さんの息子家族が浦見さんの壕に入りました。その場には久能さんもいます。そこへ浦見さんの家族も避難してきました。

ちょうど、そこへ巡回の兵士も一緒に避難させてくれとやって来ました。浦見さんの防空壕は狭く多くの人を入れるには窮屈でしたが、もうすぐ爆撃が襲ってきます。そのような事は言っていられません。浦見さんも久能さんも快く受け入れます。ところが、その兵士たちは浦見さん家族の身なりから部落の人たちであることを察します。

部落とは、戦国時代の頃より根強く残る地域的人間差別のことです。同じ人間同士であるにもかかわらず生まれた場所でいっぱしの人間扱いをしてもらえません。信じられない人もいると思いますが、現在でもこの差別は残っています。年々薄まってはきているように見られますが、約80年前のこの頃は差別はあからさまでした。部落に生まれた人間1人の命の価値は差別を受けていない人間の7分の1にしか値しないという歴史的資料(真偽は定かではない)まであるほどです。部落民がどれほどのひどい仕打ちを受けて生きていたのか想像して頂けたらと思います。

しかし、そのような差別を口にする兵士に対し、久能さんは毅然とかばいます。この場所が浦見さんたちの防空壕であることを兵士に伝えます。

その時、背負われている浦見さんのお母さんが咳をします。ほんのちょっとの咳です。

咳をしたお母さんを見て、兵士は即座に言いがかりをつけます

「咳をしたぞ!結核か!結核の者は入るな!!」

久能さん「違いますよ」

そう答えますが根拠はありません。この時代は、ほんの少し体調が悪いからと医者にかかる人は多くありませんでした。よって正しい医学的知識を持つ人も少なかったのです。結核といわれても、本当にそうかどうかは医者に診てもらわないと分からないことは現代も同じですが、この頃は多くの人の口がそういえば言われた人はまるで罹患者であるかのように皆から扱われました。近年では新型コロナウィルスが出始めた頃、同じような風評や批判に遭った方がいらっしゃいます。正しい知識と理解が多くの人に行き渡らなければ人々はとたんに野蛮化し攻撃的になります。狭い村ではなおのこと、「のけもの」に対する風当たりは強かったようです。

防空壕の入り口でそのようなやり取りが行われていると、浦見さんの家族のいちばん年下の妹が腹痛を訴えました。それを聞いた兵士が、こんどはその女の子にコレラではないのかと言い放ちました。そのように言われても浦見さんには当然コレラに対する知識も正否も持ち合わせていません。ただ、たじろぐばかりです。難しいことを言われても、どう答えてよいか分からないのです。

コレラも日本では江戸時代から、多くの死者を出し人々を悩ませてきた疫病です。結核もコレラもこの頃の人には大変恐れられていました。

そして更に久能さんを悩ます発言をする人がいました。疎開して戻ってきた久能さんの息子の千太郎さんです。

千太郎「村人の治安を維持する事が村長の役目ではありませんか?そもそも此処はうちの土地です!」

千太郎さんが発言したように、久能さんはこの村の村長でした。村人を束ねなければならない久能さんのことを心配しての発言でしょうか。そこに、千太郎さんの奥さんも浦見さんたちと共に居ることを拒みます。やっとの思いで産んだ子どもたちが疫病にかかってしまったらどうしようという不安から出た拒絶の言葉でした。その言葉にも千太郎さんは同意します。

それでも浦見さんたちを外に居させるわけにはいかないと思っていた久能さんですが、村の人間である兵士の一人がさらに圧力をかけてきます

兵士A「この事で自分たちを含むあなたたちの誰かがコレラか結核になったら、貴方がた家族を村八分にしますよ!それでもあいつらを(浦見さん家族)入れますか?」

村八分。そのように言われ、久能さんは言葉が詰まります。自分の立場も含め代々受け継いできた土地や家や祖先が守ってきたものを一瞬思い浮かべました。さらに、村八分になった者の子孫の不憫さも脳裏をかすめました。浦見さんを助けなければならない一方で、自分の家族も守らなければならないというジレンマにとらわれてしまった瞬間です。しかし、事は一刻を争います。何かを決断しなければなりません。

その時に言葉を発したのは浦見さんのお母さんでした

おっかぁ「つらみ、家に帰ろう」

浦見さんの背中でつぶやくように言いました。

おっかぁ「村長さんを困らせちゃいけない」

それを聞いた浦見さんも同意しました。

浦見「そうだね」

浦見さんはそのまま黙って防空壕に背を向けました。

久能さんは何も出来ないまま立ち尽くしていましたが浦見さんの背に向けてこう言いました

「すまない浦見くん。明日からはこの壕は使わないように調整するから」

苦しい言葉でした。今から爆弾の降ってくるなか、外にいる浦見さん家族が明日も無事であるという保証はどこにもありません。明日という日がどうなっているのか誰にも分からないそんな中を生きているのです。

久能さんの苦しさを理解したのでしょう。浦見さんは気丈に振る舞いました。

警報どおり村は空襲を受け、至る所が爆撃で被害を被りました。

次の日

村長である久能さんのところに、昨夜の状況を村人が次々に報告に来ました。村人は全員無事だったようです。しかし、爆撃により防空壕までの道が陥落したりかえって危険で使えないところも出て来ていました。

今夜また同じような空襲があった場合、どこへ避難したらよいのかという村民への指示が久能さんに求められました。久能さんが唯一思いつく防空壕は昨日と同じ浦見さんの防空壕しかありません。久能さんは頭の中でそう思いながらも、数日あれば防空壕までの道を整備したり修復したり出来ると考えました。最悪、空襲が今夜でなければいいなと心で願っていました。この時点では、誰にも浦見さんの防空壕のことを伝えていません。

しかし、久能さんの願いもむなしくその夜も空襲警報が鳴りました

久能さんは背に腹変えられず、村民を浦見さんの防空壕に誘導します。また、浦見さんとの約束を反故することになると分かっていながら、行き場のない村人をそのままにしておくわけにもいかないからです。しかし、今日こそは浦見さんたちを追い返すような真似はしまいと久能さんは心に決めていました。防空壕に到着すると、村人の一人が前日の兵士から聞いた浦見さんの防空壕のことを知っていました。

久能さんは、そう言われることを想定していたので毅然と答えました

久能「その壕は彼らのもので、私どもが借りるんです。だから一緒に入るんですよ。」

久能さんのその返事に村人は不満そうな態度を示しました

さらに、また千太郎さんがその壕にやって来ていました。千太郎さんには他の壕への村民の誘導を頼んでいましたが、人数の関係でやはり浦見さんの壕に戻ってきたのです。そこで「疫病」という言葉を口にした途端、そこに居る村人たちの空気が一瞬にして最悪のものとなりました。部落の人と一緒に壕に入るということだけでなく、疫病に罹患した人間と肩を寄せ合うことを考えると恐ろしくてたまらないという不安は人間の正常な判断を歪め、心のありかたを奪うのです。

ほとんどの村民は口こそ開きませんでしたが、明らかに千太郎さんの考えに賛同しています。皆の目つきや視線は久能さんを鋭く刺してきました

そこへ、昨夜なんとか逃げ延びて無事だった浦見さん家族がやってきました

浦見さんの生前-後編-につづく ↓↓↓↓↓↓

https://room.4kai.net/?p=2477

現代にも残る部落差別(同和問題)をBBCが伝えた時の記事です。部落民の命の価値が庶民の7分の1だったお話しも出てきます。↓↓↓↓

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34918485

前半で感じた事

  • 日本の当時ではありえたのかなという感じで見てました。
  • 同和問題に詳しくないんですけど、本当にそんなことがあったのかなという驚きがありました。命が7分の1とか。具体的な数字もはじめてだけど、ひどいことがあってたのかなぁと思って寂しい思いがしました
  • こんなにひどいとは思わなかった。私も小学生の時に友達がひとりそういう子がいた。自分の親はそういう子に差別はしなかったが、もっと年上の人たちはそういう目で見ていたのかもと思う。今でもあるみたいですね。
  • すごい差別があったというのは聞いてました。教育もあまり受けれなかったりとか、今も差別は残っているのではないかと思う。教育的なのは改善されてきたとは思うけれど
  • この何十年で進歩したのだなぁと思う。恨みとかは今後減ってきそうな気がする。
  • 部落の人の仕事、し尿係、とさつかかり、処刑係、もう少し遡って江戸時代頃は百姓一揆などに対抗する兵としてあてがわれていて、農民などの一般庶民から恨まれていた。底辺の仕事でしたがとても恨みを買う仕事だった。やりたい仕事をできるとか夢のような話

追記

死神さんとの知り合っていったなかで、浦見さんが自分のことを「おいら」と呼ぶことから「僕」という表現に変わっていった

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