伽羅, 近況報告

霊が見えない霊能力者

きゃらべん⒀7月24日(土)

宿題:皆さんが、ふだん無意識でやっているなと思うことを教えてください

  • 手を合わせること
  • 人を客観的にみてしまうこと
  • 何か食べている。食べながら並行して色々な作業をしている
  • お水をあげること
  • 朝、外に出た時に必ず太陽を探して、見つけたら「アマテラスオオミカミ様有り難うございます」と3回唱えている。

ここからきゃらべんです

文字:道さん。(いつも有難うございます。感謝)

「霊が見えない霊能力者」

前回の「悪霊ですが、それが何か?」に登場した女性(-50~-60)について少しふり返ってみます。

女性は自宅で夫のDV被害に遭っていました。そして女性はその夫に殺害されてしまいます。この夫も死神の手伝いにより亡くなってしまいました。

さて、2人がこの様になってしまった理由とは?

霊的理由がある場合とない場合がありますが、ここではある場合について少しだけ触れておきます。

2人には当然両親がいます。

その両親にも両親がいてどんどん増えていきます。(子どもが生まれたのちの離婚や死別は置いておきます)本人たちが一代目とすると、大体5~6代前までさかのぼると100年ぐらい。

さて、今が2021年。432年さかのぼり時代は1589年。鎧兜に身を包んだ武士が2人。本人たちからすると26代目の先祖になります。

この先祖2人が仕えるのはある若き重臣。

その重臣がとある城主と食事をしています。そこに斬り込んできたのは1人の武士。この人はこの城に招かれた客人です。食事をしていた重臣がこの客人と共に城主を騙し討ちにします。

殺害された城主には娘がいました。騙し討ちをした2人の家系に人質に取られているお姫様がその娘です。娘の行く末が気になりながらも城主は亡くなりました。

その娘の名は鶴姫、城井(きい)家の姫で13歳。13人の侍女とともに鶴姫もその日のうちに河原に連れて行かれ、はりつけにされ殺されました。

これは実際にあった話です。大分県の中津の合元寺(赤寺)に待機させられていた城井家の家臣も皆殺しにあいました。

殺害された城井家の城主の恨みは凄まじいものです。おどろおどろしい気を出し恨んでいます。殺害したこの2人は黒田官兵衛の息子たち。その後黒田家の跡取りが次々と病死し、1700年代には黒田家の血統が男女ともに途絶えました。(黒田家の名前は存続中)それなら恨みは終わっただろうと思いきや、そう簡単にはいきません。鶴姫と城井家侍女13人、合元寺で待機していた城井家の家臣たちの殺害を実行した黒田家の家臣たちへ、今度は恨みが向かいます。

鎧兜に身を包んだ黒田家の家臣2人の子孫が前回に登場した女性(-50~-60)とDV夫になります。

そもそもこのような事になる前に出来ることはなかったのでしょうか?

惨殺したときというのは、大体石碑とか慰霊碑とか塚とかを作って手を合わせます。初めの頃は自分たちに罪悪感があるため手を合わせていたかもしれません。しかし400年後の子孫は、自分の血縁が人を殺めていたことなど微塵も思いません。「次はお前たちの番だ」と恨みを持って狙っている悪霊はいます。でも本人たちは何も見えていません。

では、こういう時に女性(-50~-60)やDV夫の守護霊はどうしているのでしょうか?

彼らに恨みを持っているのは城主1人ではありません。殺害された人たちはたくさんいます。黒田家の家臣の子孫の血筋を辿って追いかけられ脅されているので、守護霊は気が休まらず自分の能力を高める暇もありません。守護霊が上手く育たず強い力が持てない状態です。

城井家の城主の霊能数は(-80)ぐらい。人間界に作用する力を得てそれを実行できる霊の霊能数が(-70~-80)、自分が果たしたかった思いを形にすることができた霊の霊能数が(-80~-90)です。女性(-50~-60)やDV夫を亡くならすことができ満足した城主は、わざわざ恐ろしい気を放つ必要もなく素の状態です。この頃になると城主の霊能数は(-90~)になっています。

さて、(-50)以上の悪霊に対して出来ること、(+99)でも霊が見えない人の場合について考えていきます。

霊体温を意識的もしくは無意識に燃焼させ常に悪霊とのバランスを取り続けるにはタテ伸びのトレーニングが必要です。というのも霊体温とタテ伸びの霊能数は深い関わりがあります。

タテ伸びのためのトレーニングは「供養」をすることが最も効果があります。「供養」はお水を1杯あげることから出来ます。霊体温を意識的に上げられることがどんな状況でもブレない第一歩です。

一般的な霊能数(10~20)から(-10~-20)の幅の霊能数は誰でも持っています。(10~20)の人は(-10~-20)のことは普通に対処しています。通常の修行での高め方は上に伸びたがります。よって(20~40)から(-10~-20)の幅に伸ばします。これも一般的です。

しかし霊界から求められている霊能数のあり方はこのグラフでは(40~60)から(-40~-60)の幅です。

まずは下伸びをどうするのでしょうか?

ここでお水を一杯あげることが重要になってきます。

この意味とは何でしょうか?目には見えない者に対してあげるお水は仏壇や神棚にあげるお水とは別であげます。仏壇はご先祖様、神棚はご先祖を含む神様にお水をあげています。

ここにたまたま女性(-50~-60)の霊が現れました。お水あげを見ながら「私も生前行っていました」と女性は思っています。

と、そのとき「見えないあなたの分」とお水をあげてくれました。あげてくれたのは霊能数(40)の老女。「私はご先祖でも神様でもないですよ」と女性は戸惑っています。

霊になって初めて自分へのお水あげを発見したその日が1日目。2日目、3日目……2か月目。この頃になると女性は「本当に私の分なのかな?生きていた時も人にお茶を煎れてもらうと嬉しかったなぁ」と少し穏やかな気持ちになっています。

霊は飲み水一杯でさえも自分で汲むことは出来ません。目には見えない者のためへの人間の行動は霊にとっては奇跡のような事です。自分自身でも生前、見えない者のためにお水をあげるなど考えたこともないので逆に戸惑ってしまいます。そしてお水あげをして3か月目になりました。女性の様子が明らかに変わってきています。「私のお水があった」と喜んでいます。「霊になったら穏やかな日々とは無関係だと思っていたけれど、霊になっても人の温かみって感じるものなんだなぁ」とたった一杯のお水で一人の霊がこんなにも思っています。

4か月目になると「おばあちゃん、いつもありがとう」と感謝の気持ちがでてきます。ある日、老女が躓いて石に顔をぶつけそうになります。危険を察知した女性は、老女を助ける行動を起こします。

老女に少し触れてみました。

「強い風のおかげで助かったわ」と老女は思いますが、実は女性のおかげです。

次はある日の老女とお友達の会話です。

「お水をあげると信用してくれた霊たちが助けてくれるのだって。そのお礼らしいわよ」と言うお友達に対して

「霊が助けてくれるの?誰かに見られている方が怖い」と老女は答えます。

「私は目に見えない人たちにも、きちんとした事をすれば、そう変なことにはならないんじゃないかと思っている」

「だけど、私は何にも見えないし感じもしない」

「私も見えないけど、時々助けられているって感じることがあるわよ。実際、供養がどれほど効いているのかは分からないけどね」と軽く笑いながらの会話でした。

その後、老女は自分なりの供養を始めます。「なんまんだー、なんまんだー」と仏壇に向かって手を合わせます。それを見て、「私はそういうのでは成仏しないのだけどなぁ」と女性の霊は思っています。そして合間には悪霊としての仕事をこなしながら老女のところに時々来ている状況です。

さらに月日が流れ2年が経ちました。「頑張ってくれている気持ちは有難いなぁ」と女性は思っています。ある時、仏壇に話しかける老女の言葉が気になりました。

「色々あったねぇ」

「誰に話しているのかな?」と思い、女性は老女が手を合わせる仏壇を覗き込みます。すると遺影を見て驚きます。老女は幼い子どもを亡くしているではありませんか。

「50年経っても忘れたことはないよ」

女性が置き去りにしてしまった子供と同じぐらいである3,4歳の女の子の写真でした。老女が自分と同じ経験をしていたことに衝撃を受けます。

しかし、「きっと旦那さんが優しい人だったのだろう」と、自分と違う点を探します。が、予想に反して自分と似ているではありませんか。

「あなたが乱暴者だったから、早く一人になりたかった。でも今は、それを乗り越えたのも良い人生だったと思えるのよね」遺影の旦那さんに話しかけています。

「良い人生?」自分はDV夫に殺されてしまったわけなので、とてもそうは思えません。

お盆、お彼岸、年回忌とは別に、見えないあなたへとお水をあげるこの老女という人物がこの女性に深く入ってきました。生前の自分と似た環境でありながら、自分とは違う人生を生きている老女が気になります。

水の効果は、二つあります。まず一つ目は、霊が人間を理解するためのもの。二つ目は人間が霊と交わす約束です。その約束とは?目には見えないあなたが良いところへ行けるように祈っています。その思いの証にお水をあげます。これが約束です。ここで言う、良いところへ行くとは成仏して善霊界へ行くことです。

もちろん、水を汲んだだけで成仏させられる訳ではありません。ただ、そこには理屈ではなく、プラスへの感情が発生します。その後、老女は99の霊能数を獲得しますが、続きは次回です。

勉強会での質問

老女がお水をあげていますが、1つのお水では一人の霊にしか対応しないのでしょうか?

A. いいえ、1つのお水で多くの霊に作用しています。この勉強会では話の筋道を通すため、1体の霊のみを登場させています。実際にはほかに沢山の霊が存在しお水の影響を受けています。

長年お水あげをしていますが、たまにお水の量が減っています。そのような事は普通にあることでしょうか?

A. はい、あります。科学的に何の作用でコップのお水が減るのか正確なことは分かりませんが、霊がお水に対して強く影響を受けた場合など減ることがあるようです。

お水をあげる時に、今日の勉強では「いい所へ行けますように」と思いながらあげた方がいいのかな、という部分がありましたが、実際にどういう心構えで行ったらいいのでしょうか?

A. 勉強会で出てくる言葉は、一般的な方々の思考を基準にしています。お水あげに関してはお水をあげる行為そのものが「いい所へ行けますように」という意味ですので伽羅の場合は「今日もよろしくお願いします」くらいの感覚であげています。もしくは、本日の宿題にあったように「無意識」でお水あげが出来るようになったら最高です。

+99の人でも霊が見えないということは、足りない部分があるから見えないのでしょうか?

A. 霊は「見える」ものではなく「見させてもらう」ものというのが基本的なスタンスになります。誰によって見させる見させないが決まるのかというと、基本的には守護霊の裁量になります。悪霊自身が自分を見せたい場合でも守護霊の力で見えないようにシールドをはって見させないでいる事が出来ます。守護霊の力が弱ければ霊能数が低い人間でも嫌でも霊を見てしまう場合があります。

勉強会の感想

  • 今、自分がやっている事を再度確認出来て良かった。これからもっと、見えない方へのお水あげを頑張っていかねばならないなと思うことが出来た
  • 聴けて良かったなと思いました
  • まだまだよく分からなくて半信半疑なところがあるので、まずはやってみないと分からないので、やってみようかなと思っています
  • 自分自身、神棚のお水さえ干からびさせてしまうほど無精者なのでお水あげを始めることに抵抗がある。信仰心がないわけではないが、お水をあげることを忘れないでいるということは難しい。その対策として毎日お祈りをしているので、それではダメなのかなぁと思ってしまう。出来る種類の事と出来ない種類のことがある
  • 歴代のご先祖からも因縁を引き継いで霊障がおきたりするんだなぁと思った。霊的な場合とそうではない場合があるのだなぁと思いました。
  • やはり全部繋がっているのだなぁと感じました。何百年も前に人を殺めた側の2人の子孫が夫婦になり、思わぬ形で復讐された事にゾッとしました。

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