伽羅, 近況報告

きゃらべん⑷ 10/11/2020

第4回のきゃらべんは、ただただ私が喋り倒すという時間となってしまいました。ご参加の皆さまにおかれましては、理解しづらい点も寛容に受け止めて下さいまして、もしくは聞き流してくださいまして恐縮の極みでございます。時間の都合上いた仕方なかった事、どうぞご容赦くださいませ。それでは、以下に内容を残したいと存じます。

悪意のない俱霊がこの度、神界のチカラによりグレー界から放出された理由はグレー界が善霊界、悪霊界、人間界とのバランスを崩しだしたからです。善霊界、悪霊界に進まずグレー界に入り込む霊があまりに多く、グレー界は飽和状態になり、俱霊たちはとにかく消滅させるか外に出すしかありませんでした。そこで神界が行ったことは俱霊たちをグレー界から放出させる事でした。(ウィルス共生の鍵-16-より)

まずは、4つの霊界の構成簡略図です。

[今までの形]

[現在であった形]

[未来に求められている形]

グリーン界=ミドル界

霊界がどうなりたいのかを知ることで、人間が今後どう動いていけばよいのかを考えられる点が大きなポイントです

人々は、常に真理に触れ、真理に従い生きることを追い求めています

肉体を必要としなくなった霊体は、より真理に近い修行が出来ています。

真理そのものに触れつつ物体を自在に操るためには、より高度なトレーニングをしなければなりません。そのためには、肉体のある時から霊性と自身とを強く結びつけておくことで、物質に対する感覚を霊体に残すことができます。いざ霊体だけになった時に、早速、真理上の本物の一つとして役立てるように、肉体を持つ霊である人間は、たかだか100年の間に様々な経験をさせられます

第4回のきゃらべんの内容に戻ります

現代は、自分が比べないように努力をしても、周囲からの比較や批判の声が想像以上に様々な方法で入ってくる時代です。SNSはその最先端です。

誰かを助けたり手伝ったりしたくとも、『助けてください』と表現している人以外は、弱者も強者も分かりにくい世の中になってしまいました。また、『分かりにくくないといけない』という世の中を現代人が望んでしてしまったため、自分という存在が他人にどうかかわり、どう助ければよいのかさえも見え辛くなってしまったのです。

 例)

  • 学校のクラス名簿も個人情報とみなされ公にされることはなくなりました
  • 核家族化の後、さらに家庭内別居が夫婦子どもで行われています
  • それぞれの行動が壁で遮られ、家族でさえ互いの行動が見えにくくなりました

家族で一緒に何かをすることは、楽しいことや満足感を得られることだけで、面倒くさいことには関わらずに過ごそうとする人も少なくありません。

前頁-きゃらべん⑷-でのお話しのように、友人や家族が指を怪我したら料理をすることに困るだろうから手助けをしてあげたいな、と思ってもよくよく考えたら、外食もあればお惣菜も簡単に買えます。結局は自分のお節介かもと思ったり、作っても美味しくないと言われ自信をなくすリスクを冒すくらいならば、やっぱり何もしないでおこうという思考になります。何もしないで関わらないでいるということは孤独でいるということです。すべては自分の頭の中だけの事ですので、他人からは何を思ってくれたのかなど分かりません。

脱劣等感

孤独になることで劣等感そのものを感じないように意識しないように触れないように生きることを大切にしはじめたのです。劣等感に触れないための奥義です。傷つくことに敏感な現代人の特徴となりました。

自分の理想の世界を自分の頭の中だけで作ってはいませんか

他人に触れなければ自分が傷つくこともない

そこで、人々は孤独とどう付き合っていくかが、新たなテーマとなりました

劣等感を恐れず、劣等感を肯定するというやり方です。他人と向き合わないことで、新たな自信喪失の傷を作らないでいられます。その間に自分の心を回復させるために出来ることをします。うまく出来なくてもがんばっている自分が好き。さらに努力しようとしている自分も好き。他人との比較や他人の心ない言葉より自分がどんな頑張りをしたかを冷静に肯定し心が乱されないようにすること。自分を励ましてくれるものや勇気をくれるものに多く触れるための時間を割き、お金を使う。この期間が自分自身を取り戻す回復期間となるのです。(お気に入りのキャラクターを集めたり、コスプレでなりきるなど)

しかし、この事と「何も感じないでいる」ということの線引きがうまく出来なくなる人も多く出てきました

他人を意識しないように触れないようにした結果、孤独の時間を手に入れた現代人は意外にも他人の行動を垣間見る手段を手に入れました。インターネットからホームページやブログが始まり、ツイッターやインスタグラムまで数多くの他人を覗き見る機会が増えたのです。実際に一人になった時に気になる事とは「他人が何をしているのか」という原始的なことなのです。尊敬する人や楽しませてくれる人を見るだけではなく、自分が優越感を味わえる人の投稿を見て安心することもあります。自分の考え方の琴線に触れた相手には遠慮もなく暴言まで浴びせることが出来るのです。面と向かっては言ったこともないような言葉まで顔を見なければ発することが出来るのです。このように無関心を装いながら他人の事を濃厚に知っていく孤独の時間は、かえって他人と触れ合うことが面倒になったり、新たな対人恐怖症や対人不安などの適応障害に陥りやすい事態にもなっています。

また、自分自身を肯定しつつ他人を傷つけずに生きていると、同じ波長の人と出会うことがあります。しかし、お互い慣れてくるとちょっとした言葉の誤解などでうっかり傷つけ傷ついてしまうことがあります。そのようなちょっとした誤りにも傷つかないように事前に、しかも無意識に笑って流す習慣を現代人は身に付けています。傷つく前に「感じない」このスイッチのオン、オフは簡単に切り替えられるものではありません。普段の生活の中で養うことで微調整が出来てきます。

しかしながら、瞑想(メディテーション)や能力開発などの精神鍛錬で「自分磨き」と称して社会と自分との分け方を学んだり、感覚スイッチのオン、オフに作用する勉強をしても、無条件での「幸福感」にたどり着くことをなかなか「難しい」と発する声が多く寄せられています

グレー界に存在する俱霊とは

劣等感は善霊も悪霊も両方生んでいましたが、脱劣等感を人々が努力するようになり、他人は他人自分は自分という考えが根底に芽生えだしました

この意識はとりあえずの行き場であったはずの小さな次元のゆがみを膨張させ、霊界のひずみに君臨しました。大きくなり新しいグレー界という基盤を作ってしまい、目的を果たすことよりも傷つかないことを重要とする霊の溜まり場となったのです

他人のことにあえて触れず見ようとしない美学、かわりに自分のことも見てもらわなくてよく、都合の悪い部分には触れないでいてくれる世界

それは現代の人間にとっての、天国に成り代わってしまっていました

誰にも干渉されないことが「しあわせ」であり、傷つかないでいられる世界が理想なのです

傷つかないでいられるという事は、人類の長年の夢でした。世の中に存在する様々な暴力によって無残に傷つけられた人々は、ただ穏やかに人生を過ごしたいだけなのにと、平和な世界を切望したのです。

ところが、その穏やかさをはき違え、見て見ぬふりをして自分さえよければいいという霊体を、多く輩出してしまった状況が現在です。神界と霊界の求める場所にまで、肉体を失くした霊たちが届かなくなってしまいました。高尚であるはずの霊体が、ほんの少しの痛みや苦しみにも耐えられず、感じる事さえ捨ててしまうほどに肉体を守り過ぎてしまうと、「生まれる」ということの意味を果たせなくなるのです。新型コロナウィルスが神界からの作用であることは、人間にもう一度「生きる」意味を再確認させる要素も含んでいます。このことは、人類存続の意義に大きく関わることなのです。

様々な苦しい状況のなかで、自分自身を見失わずに生きる生き方とは

次回11/8(日)きゃらべんにてお話し致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です