きゃらべん⑵からの宿題の答え。赤文字が答えになります。
このような時代になり、人間は更なる時代のための夢や希望や野望や欲望を強く持つようになったのです
平等という感覚が美徳とされる中で、今まで築いてきた格差社会はそう簡単に消え去ることはなく、身分や生活上の貧富の差により個人は分をわきまえる素振りがありました
平等を意識しながらも、学問や運動の場にて、少し抜きん出た感覚を有することで劣等感を感じずに生きることが出来ます
↑↑↑第3回きゃらべんでの参加者様より出して頂いた言葉です
(読みづらいので以下に書き直します)
500年前後から近代
生活環境は徐々に整い生きる事が少し楽になると人は今度はどんな事を思うのか
(↓↓皆様からのアウトプット)
- どう生きるか
- 生きる事の意味を考えたりする
- 自分のしたいことやりたい事、趣味など
- 物質的なことより内面性に意識が向く
- 自分はこれでいいのかを考える
- どう生きるか
- 何をしたらよいのか
- 物質的に豊かになったら物質的な快楽を求める
- 美味しいものを食べる、楽しいことをする
このように今度は人としての『生き方』や『在り方』を多くの人が意識するようになる
⇩
生き方や在り方を思った時、人間が求めたもの
⇩
平 等
一部の特権階級の人だけではなく、誰もがそのチャンスに手を伸ばせるようになり、人々は『平等』という意識を強く持つようになった
ホワイトボードの書き出しは以上です
平等の世の中が目指されても、学問やスポーツの両面において平均より劣る人々が実際には存在します。平均より劣っていることに自信をなくしてしまう感覚を
劣等感
といいます。
自分が誰かのために何かをしようと思った時に、周りと比べてしまう、人より劣っている事で手助けへの一歩が踏み出せない、もしくは反対に周りから比較されて自信の芽を踏みにじられてしまうケースもあり自信喪失に繋がってしまう
例えば、指を怪我した友人に食事を運んであげたくても、自分の味付けでは気に入らないかもしれない、好みのメニューではないかもしれない、他の友人がもう持ってきているかもしれない、他の友人と比較されて自分の食事が美味しくなかったらどうしよう、実際に後から他の友人の料理は褒めるけれど自分のは特に褒めてもらえなかった、等
生きることを直接助ける必要がなくなった事で、余計な事に気を回すことが多くなり、人との関わり方が難しくなってきました。生きることが最優先であるならば、つべこべ言わずに食べなさい、美味しいおいしくないのワガママを言わず不満を言わずに生きるためにとにかく食べなさい!という押し付けが出来たかもしれません。
上を見てもキリがなく、下を見ても様々な人たちがいます。その中で目標にたどり着けなかった自分の心の妥協点を見いだせず、自分らしさとは何かを考えているうちに人生の時間は過ぎていき、心がくじけてしまう場合も多いのです。劣等感は金銭を多く所持している人や確固たる地位にいるような人であっても同様の心理であることが分かってきています。
とはいえ、やはり誰かの役に立ちたいのが人間の心理です。自分に自信を付けるために料理学校に通い勉強し、調理師の資格を取るなど、自分自身を折り紙付きの腕前にすることで周囲を唸らせる、もしくは、周囲に文句を言わせない自分を作ることで、自分は役に立つ人間だとアピール出来るようになりました。今でも多くの人がたくさんの時間とお金をかけて平等に資格を取ります。
劣等感を感じずに生きるとは(現代でありながら、ひと昔まえの場合)
・自分にしか出来ない仕事をみつける
(これには何年もかけて厳しい修行時代を過ごさなくてはなりませんでした)
・人より収入のある仕事に就くこと
(大人になりもっと早くそういう道を選んでいたら幸せになれたのに、と思った大人は子どもに以下のことを促します)
・収入のある仕事に就くには
- 既得権者が集う大学を出ること
- そのような大学に入るためには中高までに学力を上げること
- 中高までに学力を上げる努力に必死にならないために小学校から塾や受験のある環境に身を置く(スポーツを含む)
- 自我が芽生える前に幼児期から高度教育が当たり前の環境にすること
- 乳幼児の吸収力を利用して乳幼児期から英才教育を取り入れる
- 生まれる前からの胎教を取り入れる
人間ひとりにこれだけの努力を費やせるにまで、人間は自由になりました
1000年前の生存のために時間の大半を使っていた頃からすると、人々は随分と生きる事が楽になりました。しかし、その頃以上に眠る時間も削らなければならないほど、現代の人々が忙しいのはなぜでしょう。幸福を手に入れるために必要なお金を手に入れるための、誰もが知るサクセスストーリー通りに生きようと必死になっているからです。
まとめ
少し前の現代は他人からみて羨ましがられる生活であることがステイタスだったのです
ところが、
他人からみて羨ましいということが、果たして本人にとって羨ましがられる自分である事に必ずしも繋がっているわけでは無いことを、現代の人々は気付きはじめました
劣等感という言葉そのものが死語になりつつあります
ここからが脱劣等感マインドになります
脱劣等感マインドは俱霊の構成要素になります
なぜグレー界が飽和状態になるほど俱霊が居ついてしまったのでしょうか
次回、俱霊を作った脱劣等感マインド
お楽しみに♪