お盆の期間、亡くなった方をお迎えするカタチを整えると、なんとはなしに生前いつも故人が座っていた場所にいるような感じがしたり、音がしたり、見えないながらも『くつろいでくれているのかな』と思う瞬間を経験したことがある方は意外と多くいらっしゃいます。前頁で述べましたとおり、皆さんに感じるほど近くにいる霊体は成仏(じょうぶつ)していない方です。いわゆる未成仏霊(みじょうぶつれい)といいます。ほかにわたしたちの感じることの出来る霊を、浮遊霊(ふゆうれい)といったり、背後霊(はいごれい)と呼んだり、生霊(いきりょう)ということもあったり、地縛霊(じばくれい)であったりします。この中で、未成仏霊、浮遊霊、背後霊は同じであるという認識で進めて参ります。ごくまれに、違うパターンもあるのですが、現段階では分かり易くまとめて『未成仏霊』と呼びます。そうして、未成仏霊はわたしたち人間の都合で言うところの『悪霊』(あくれい)と位置付けられています。悪霊ご本人たちは、自分たちは悪霊じゃないと殆どの方仰いますし、わたしもその気持ちはよく分かりますので、悪霊という呼び方もどうかな?とは思うのですが、今はこのまま進めて参ります。これは私の勝手な判断ではなく、霊界とのやりとりの中で、実際にこの言葉を使われるので使用しています。あしからず。
さて、そうなりますとお盆に帰ってきている魂は、霊界で清められた魂ではないということになります。上記によりますと「自分たちは悪霊を呼び寄せていたの?」ということになりますね。正直に申します。その通りです。誰も言わないのでここではっきり申し上げることにしました。大切なことは、自分たちが一体なんのために何をやっているのかということを知ることです。知らないから流される。そうではないですか。ここからが大事なところですので、ここまでを読んだ方はこの先を必ずご覧ください。
自分たちが招いている霊が悪霊であっても、それが大好きだった祖父母だったり両親だったり、兄弟姉妹だったり、子どもだったり、親友だったり、恋人だったりするならば、あえて受け入れる。じつのところ、人情とはそういう性質を持っています。ですので、未成仏霊が悪霊と知ったところで、そこまで『たじろぐ』人もあまりいないと思っています。この世に何がしかの未練があって彷徨っているのなら、せめてお盆や命日くらいもてなしてあげようと身近な人は思うのです。そうすることで実際故人がどう思っているのか伝えます。喜んでいます。私の居場所がまだあると癒されています。ですので、皆さんがなさっていることは間違いではないのです。けれども、この世を生きる人が好きだった相手が、必ずしも未成仏とは限りません。徳のある人ほど成仏をしやすいので、あるお家では悪霊なんて一体もいないかもしれません。
それでも、居るか居ないか分からないからとりあえずしきたり通りにやるお家も少なくありません。そういうお家にはその家に全く関わりのない未成仏霊が迷い込みます。ここには誰もいないから、自分が居てもいいだろうと勝手に思うのです。誰も供養してくれない悪霊は本当に寂しく、苦しがっているものです。もてなしてもらえるのなら、相手を選びません。誰でもよいのです。そうして、どこの誰とも分からない霊がお家に居るわけですが…このままでいいわけありませんよね?!
次頁にて、このあとの展開を記して参ります。なにこれ?と思われた方すみません。もう少々お付き合いくださいませ。